2013/09/01 禁止改訂後「コダロスレミューリア」デッキレシピ

ストリームさんが禁止になりますので、新しく調整したものを。


※モンスターカード 22枚

爆征竜-タイダル×2
海皇の竜騎隊×2
スクリーチ×1
コダロス×2
グリズリーマザー×2
リザード・ファルコン×1
リザード・ドラゴン×1
海皇の狙撃兵×2
海皇の突撃兵×1
深海のディーヴァ×3
海皇の重装兵×2
エフェクト・ヴェーラー×3


※魔法カード 13枚

大嵐×1
強制転移×1
ブラック・ホール×1
テラ・フォーミング×2
死者蘇生×1
サルベージ×1
サイクロン×2
封印の黄金櫃×1
忘却の都 レミューリア×3


※罠カード 5枚

水霊術-「葵」×1
ブレイクスルー・スキル×1
強制脱出装置×1
神の宣告×1
神の警告×1


エクストラ 15枚

星態龍×1
スクラップ・ドラゴン×1
氷結界の龍 グングニール×1
ブラック・ローズ・ドラゴン×1
A・O・J カタストル×1
アームズ・エイド×1
幻獣機ドラゴサック×1
No.11 ビッグ・アイ×1
バハムート・シャーク×1
交響魔人マエストローク×1
空海竜リヴァイエール×1
No.17 リバイス・ドラゴン×1
発条機雷ゼンマイン×1
ガチガチガンテツ×1
アーマー・カッパー×1





あとは入るとすれば、エクストラに「鬼岩城」ですね。
正直、ブリザード・ドラゴンでストリームの代わりになるとは思えませんが、とりあえずはこれで。

僕の支え

体の中にエネルギーがなくなってしまい、ポッカリとした状態で。


「こんな気持ちで一体、何を楽しいと思えばいいんだ」


なんて、一生懸命生きている人に笑われそう。


日によって気持ちの浮き沈みがとても激しく、比較的ほんわかとした気持ちでいられる日もあれば、グッと胸が苦しくなる日もあります。


人生で何度かあったことなので、すぐに刹那的な感情に走ったりはしませんし、感情の爆発も、年をとったせいかそこまではありません。却ってそれが良くないような気もしているんですが。



それで、自分の支えになるものを探すんですが、これがまた非常に難しい。
何が難しいのかというと、自分の感情がフラフラとしすぎて定番が存在しないんです。


調子のいい時は、大体これを聴いておけばOKというのがあって、音楽なら再生ボタンをポチッと押せばそれでいいんですが、今みたいな状態だとその音楽が全く胸に入ってこないことがあります。


僕は本当はもっと音楽が好きなはずなのに、世界をもっと好きでいたいのに。


焦るな自分。そう言い聞かせて、少ないエネルギーながらもがいている最近です。


ダメだな、うまく文章がまとめられない。主旨から脱線していく。




こうではなく、僕が今、特に昨日、非常に支えられた曲を紹介したくてこの記事を書き始めたのです。


熊木杏里の「光」という曲です。作詞は熊木杏里、作曲は渡辺善太郎。映画「重力ピエロ」のイメージソングだそうです。この映画も一度きちんとみないといけないな。


歌詞を一部掲載したくて、著作権関係を少し調べたんだけど、多分このやり方なら大丈夫のはず。
本当は全部のせたいくらいくらいなんですが、ちょっとラインがわからない。

どうか君が すぐそばにある景色を 今も
愛することができるように     (熊木杏里「光」)


一度目のサビは、文字にしてしまうと、たったこれだけです。


僕は自分で曲を作る時もそうなんですが、歌詞は短ければ短いほど良いと思っています。
これは単純に好みの問題なので悪しからず。


これは曲との相性もあることなので一概には言えないですが、「シンプルイズベスト」なのかな。
というか、自分が引き算で音を作るよりも足し算で作るのが好きなのか。



今の僕みたいな気持ちだと、例えば「負けないで」のような、目の前のものに立ち向かうための曲はどうしても響かない。対象が定まっていないから。


この「光」という曲は、ミキシングもとてもふっくらとしていて、良い意味で現代的じゃない。
熊木杏里という人は、作曲もとても上手いから、彼女が作詞作曲した曲も勿論素晴らしいんだけど、この曲は奇跡的なバランスだと思う(と書くとちょっとやりすぎかな?)。


スッと自然に言葉が入ってくるんです。これが楽曲を作る上で難しくもあり、面白くもある部分なんですが、とにかく語感が良い。



何か、辛いことや苦しいことがあって、目の前がぼやけてしまっている人、目標や希望がみえなくなってしまっている人に、こんな曲は響くんじゃないかと思いこの記事を書きました。

僕の願い

そんなことを、ふと考えていた。


正直、今はとてもじゃないけどそんなことは、心の底からは思えない。僕は、これだけは言いたい。


とにかく苦しい。でも誰のせいにもできない。本当は自分がいけなかったのだとわかっているから苦しいんです。


人並みにやれない劣等感、情けなさ、そんなものがのしかかってきてどうしようもなくなって。


そんな風に今思ってしまうのはどうしてだろう?と考えていて、解っていたけどどこにも書けない、言えなかった。



僕は、彼女のことを本当に好きだったんだな。



ただそれをうまく伝えられなかった。伝え方がわからなかった。


きっと、人間というのはこんなことを繰り返して、ああでもないこうでもないと言いながら年を重ねていくのだろう。

昔の自分のエントリーを見て思うこと

まるで誰か別の人が書いているみたいだ。


なんだろう、紛れもなく自分なんだろうけど、行間の取り方とか、言葉の選び方とかが全然違う。


きちんと続けていた時はできていた何かが、今は出来ていないということなのかな。別にそれはそれでいいんだけども。


今見ても変わらず思っていることもあれば、「あぁ、この頃の自分はとがってるな」と思うこともあり。
それはやっぱり、自分は自分だけど、同じ自分ではないから。


これからまた年を重ねて、もっと変わっていくんだろう。そういう変化をみるという意味でも、こういうものは続けた方がいいのかなと思うね。