努力は必ず報われる?

というのは幻想だ。と、よく頑張っているやつに言う。
けれど、そういっている自分も頑張った事に結果がついてこないと「どうして?」とつい思ってしまう。この社会形態の中で生きてきた上で培われたダメな思考回路である。


重ねて言うが、「努力は必ずしも報われるものではない」のである。


あなたがどれだけ頑張ろうとも、そのしている事自体が世間的に受け入れ難い事であったり、時代を先取りし過ぎていたら、それはすぐには認められないかもしれない。天才と呼ばれた先人達も、不遇な人生を歩んできた方が多かったと聞く。


それでは、努力はしなくていいものなのか、と聞かれたら、俺は答えは否であると思う。
確かに努力は必ずしも報われるものではないかもしれないが、何もしない事が必ず報われるという事にはならない。だから何事も継続はしておいた方が良いと考えている。
というより、たかが日記を書く事とか、学校で自分が選んだ勉強をする事を「努力」ととらえるその心こそが、本来は誤りである事に気付
きはしないだろうか。夢中になってやっている時は、「努力している」などという実感はあまりないものである気がする。


昨今の文学にしろ、音楽にしろ、芸術と言うものはやたらと等身大のもの、リアリズムを表現する様になった。お涙頂戴モノである。しかし、本当の芸術の芸術たる所以は究極の非現実感にあるようにさえ感じられる。リアリズムを表す事で共感を得やすいのはいってみれば当り前の事である。むしろ困難なのは、鑑賞する側が普段知覚していない領域を表現し、それを鑑賞する側に提供し、思索を深めさせる事である。そしてこれこそが、少なくとも現代においてあらゆる分野に欠落した事ではないか。


単純明快な事は確かに共感しやすく、その逆は難しい。だからといって、挑戦する努力を怠るのは問題外である。