「考えない」という事について考える

ところで、最近ネットなんかを見ていると、あまりに安易に「教えて下さい」とコミュニケーションをとりたがる輩がいる。これはなんだろうか。
自分で調べて「ここまでは解ったんだけど、ここが解んないんだよ」っていうのなら良い。けど最近のはなんだか違う。考える事を放棄している。


人間は愚かな生き物だけど、考えるという事に関しては比較的優れた動物だと俺は考えている。っていうかそれぐらいしか取り柄がないんだから、逆に言うと「考えない」というのは極端な話「人間ではない」と同義ととらえる事も、場合によっては不可能じゃない。


迷惑メールについて少し前に触れたけど、詐偽にしても内容があまりに浅はかだと思った。でもこれで詐偽が成り立つからこういうメールが飛び交ってるんだろうとも思う。受け手も浅はかになってしまっている。
情報は確かに便利で、インターネットが普及する事により我々が得られる情報量は確かに格段に増したかもしれない。しかし、情報には質があって、インターネットで得られる情報なんかはとくにそのムラが激しい。クオンティティはあるが、クオリティは必ずしも伴わないのである。それでは我々はどうするのが賢明であるか。
自分にとって有益な情報の取捨選択が出来る洞察力を養う事、即ち「考える事」を特化させる事以外に、この情報化社会の中で人間らしさを保持しつつ、尚かつ保守的になりすぎず発展していく方法があるのだろうか。大袈裟かもしれないが人類は今重大な事態に晒されている。



・・・なんて、もっともらしい事を書いてみたりして。どっかのコピペみたいね。やだやだ。夜中にふと思った戯言だよ。寝よう。