継続する事とその意義。

継続している事といえば、


・音楽を聴く事(まともに聴く様になってから) 10年位
・ジャンプ購読 17年
・マガジン購読 8年
アフタヌーン購読 4年
・このブログ 2年程度(現在1年半弱、連続更新中)
・通院 6年
マルチビタミン服用 1年位?
・野菜、足りてますか? 飲用 1年位



こうして書いてみると意外とくだらない事を継続する癖があるようで。っていうかジャンプとかえらい事だよね。
仮に平均をとって、1冊220円だとして、年間およそ50冊。それが17年間だから、220×50×17=187000。うわ。


マガジンも同じ要領で220×50×8=88000。うわ。
アフタヌーン、600×12×4=28800。うわ。
野菜、足りてますか? 80×365=29200。うわぁ。


音楽関係なんてもっと悲惨です。CD、楽器、録音機材、などなど含めると・・・うぅわぁ。
かるーくCDを試算しただけでも100万超えてますね。機材も同様。
でもまぁ、勉強(人生のね)にはお金かけろ!っつう事らしいです。


ちなみに上記に挙げた事より、俺自身には莫大な金がかかっています。保険金とかそういうオチじゃなくてね。
これは誰だってある程度はそうなんだけど、生まれて、食事させてもらって、学校行かせてもらって、服着せてもらって、色々保険とかもかけてもらって、そういうの含めると、安くてもウン千万、いく人は億に届く計算になります。
つまり何が言いたいのかっていうと、それだけ働いて稼いでるのは大抵の場合自分の親な訳で。それって途方もない事だと思うんだよね。とてもとてもすごい事だよ。
だから人が親になる、子供を持つって事は大変な責任を伴う。経済的にも相当な圧迫になる。


だからって、子供作らなきゃ良いじゃん、とは多分俺は出来ないと思う。
ついこないだまでは自分優先で考えてたんだけど、貧しくてもいいんじゃないかな、とか、子育てってどんなんだろ、とか、ちょっと興味がある。まだ未定の事だけどさ。


で、継続の話に戻すけど、もしも子供が生まれた時にさ、多分大体の情報はDNAに刻まれてるとは思うんだけど、環境ってのも重要だと思うんだよね。
ウチには生まれた頃から本もあったし、ギターもあった。そのおかげで今の自分があると思ってる。
もしも自分の子供が生まれた時に、家になんにもなくて、何かに触れる機会を奪うような環境を作ってしまっていたとしたら、それは親の最もしてはいけない事なんじゃないかと思う。だから身銭を切って継続的に、ある種エゴイスティックなまでに、モノを貯える。そして、それを借金のカタに取られない様に、働いて収入を得る。


これで働く理由が出来た、気がする。


安直だけど、親が出してくれたお金で買った財産を、守り抜くのが働いて収入を得る事の一つの理由じゃないんかな、と。そんな風に思ったんだけど、実際はどうなんだろうね。