大切な事は中にあるはずだよ

今日、夜分に宗教の勧誘がきまして。そういう人来ると、普通は門前払いなんだろうと思いますが、自分はついつい持論を展開してしまいます。虚実入り乱れた事を言って、最終的に確かめたいのは「相手の信仰が純粋なものであるかどうか」を確かめようとするんです。


向こうは布教のつもりできてる訳だから、冊子おいていくし、場合によっちゃあ自分の信じてる宗派の素晴らしさを俺に説いてくる。それは良いよ。したくなる気持ちは解らなくもないから。
でも、自分の主張を人に聞かせにきたからには、勿論こっちの主張を聞く覚悟もできてるんだよな? っていうのが俺の考え。だって不公平じゃん。なんで向こうの主義主張を一方的に聞いて、それで終わりにしなきゃいけないの? それじゃあすごく、薄っぺらい関係だよ。


俺は、嘘でも、本気でつく。もしかしたら嘘発見器とか、ひっかからないかもしれない。自分で言ってる時点で恥ずかしいんだけど、すごいそういう事には、本気を求める。特に思想の話なんかは、ずっと常日頃から考えている事だから、本気にならざるを得ない。
ブランキーの「不良の森」って曲で、「神様はみんなの中にいて」って歌詞がサビ辺りにあって、それが結構自分の考え方に近いかな。すんげえ長い曲なんだ、11分とか。シンプルな8ビートから、段々荒々しくなっていく曲なんだけど。ラストライブでも演奏してる。すごい良い曲だよ。


宇宙の果てにも、「きっと」何か、すごい事がある気がする。でも、俺たちの中にもすごい事があると、俺は信じてる。それを「神」という言葉で片付けるかどうかは、その人次第。俺はあんまり言葉で表したいものじゃない。宇宙の果ても、人の心の奥の奥も、同じ所なんじゃないかって、時々思ってる。そう信じている事が、俺の中での「信仰」になるのかな、なんて、今日話をして思ったよ。