もともとないものとあるものについて

uuta君のブログのタイトル、なかなか興味深いものだったので、それについて考えてみる事にしました。ダメだったら消すからコメントしてね。


まずは「あるもの」について考えてみようか。いわゆる生得的なものというのは、数え上げるとキリがないけど、個人的には親から譲り受けた遺伝情報、これに尽きると思う。
例え兄弟がいたとしても、両親が20の時と24の時(例えばね)では、遺伝情報は違う。かなり近いが、同じではない。アルコールに強いかとか、煙草を好むか、納豆は子供の頃から好きか、なんていうのも、生得的かな、と思うのは邪推だろうか。
最も生得的なものは「性癖」だと思うな。別に猥褻な話をしたいわけではなくって、結構人間の趣味や生き甲斐って、その人の性癖に由来している所があるように思う。
逆にいうと、はじめに「あるもの」はこれだけしかないかもしれない。与えられたものは、分割を繰り返して形になった体と、考える頭。


それ以外は、もともとは「ないもの」のように思う。確かに、全く絵が描けないとか、そういうのはある(俺がそうです)。それは前の世代(おとーさんおかーさん)や、それ以前が頑張らなかったのもあるかもしれないし、自分が子供の頃からやらなかったのもあると思う。でも、好きだけど、本当に「描きたい!」と思う程好きなら、子供心に描きまくってただろうと思うんだよね。だから、そう思えなかった時点で少なくとも俺には、絵を描くという事に対する「関心」みたいなものが、もともと「なかった」。下手の横好きとはよく言ったもんですね。


ちょっとうまくまとめられそうにないのが残念なんだけど、「あるもの」って、多分遺伝子くらいだと思うんだけど、それですげえ美人になったり、そういうのは、大まかには決まるんじゃないかと思う。外見的な容姿の話。
でも不思議なもので、どれだけ端正な顔立ちをしていても、なんというか、魂を削る作業とでもいうような、そういう事を怠っている人には、あまり魅力を感じない。内面の問題なんだと思う。逆にいうと、ベンジーも唄ってるけど、「そんなに美人な訳じゃないが」、タンバリンをすげえ打てたら「あ、良いな」って思うかもしれない。人間の魅力って、外見は勿論、内面もすごく関係してくるんだと、最近になってつくづく思う。


そういう意味で、比較的綺麗だったりハンサムだったりすると、今の社会では努力を怠りがちになる傾向があるのかなぁとはなんとなく感じる。結構上っ面の付き合いでいけちゃうから、内面磨かないとヤバいとか、思わない。思う必要がない。
だから、結局人間としていいのは、どれもが「ほどほど」であること。あまりに様々な事に恵まれすぎていると、向上心がなくなっちゃう気がする。コンプレックスの塊でいるのも案外悪くないなぁ。


なんかたまに思うのは、「産まれたくて産まれてきたわけじゃない」とかいう言葉があるじゃない? 俺あれは嘘だと思うんだよな。
確かに意識の上では、別に望んでなかったかもしれないけど、精子であった頃は、卵子に出会う為に必死で泳ぎまくって、1億とかそんな中の頂点として受精卵になり、それが成長して自分がいると考える。双子なんかもあるけど、おおまかにはそうだと思う。
ちょっと数が足りないけど、要するに日本の中でなんかでトップになっちゃう感じな訳だ。今例えば、俺が何かで日本でトップになろうと思っても、1番どころか、1万位、いや100万位に入れるものだって多分ない。それくらい1億という数は馬鹿馬鹿しい位大きな数で、その競争で、自分の半身は無意識の内に生き残ってた事になる。すごい事だと思う。
だから、今何か上手くできない事があると「俺ってダメだな」ってすぐ落ち込んじゃうんだけど、産まれた時点ですごい努力が既になされたあとなんだよね。何gもないような時はメチャクチャやれたのに、何十kgになった今、なかなか思うように頑張れないのは皮肉な話だと思う。


話が逸れてしまった感が否めないけど、最終的にはどんな辛い事があろうとも、自分自身を受け入れてやらない事には、多分他者にも受け入れてもらえないんだと思う。それを一生かけてやるのが人間なのかなぁなんて、偉そうですが思ったりするのでした。