「死にたい」とネットで検索

すると、「私の大切な人はこんな事を言っていて、生きたかったけど生きられなかった」とかなんとか書いてあります。要するに「あんたは生きられるのに死にたいなんてゼータクだ、世の中には生きられなくても生きられない人が沢山居るんだから」という言い分です。もっともです。


そりゃあ、生まれてすぐに死んでしまう子供もいれば、手榴弾を抱えて死ななければならない人だっているでしょう。だから「あなたは『死にたいなどと軽々しく言ってはならない』」となる。現代の風潮です。
でもほんとにそうでしょうか。「死にたい」という、ふと頭に浮かんだ言葉にどういう意味があるのか、自分なりに考えてみました。


例えば自分が「死にたい」と思う場合、なんというか、どちらかというと「生きているのが辛い」という事で、存在を消したい、なかった事にしたいなんて風に思うのです。こんな事書いてる時点で今回は相当参ってるなあと思います。書いてられるうちはまだ生きていられると思うので取り敢えず一安心ですが。


調子が悪いとか、なんやらかんやら訴えたら「あなたは人に甘えたいだけじゃないの?」と言われました。そうかもしれません。
思うんですが、人に甘えたいと思わない人なんて本当にいるんでしょうか。こんなに情報が氾濫して、何が何かも解らなくなっている世界で。


精神的な飢餓感は、目に見えないので伝わりにくく、誤解を生じやすいです。別に擁護一辺倒になるつもりはありませんが、少しは解ってやろうとして下さい。