今こそ、聴く側も考え直さなければいけない

今月のロッキンオンジャパンで、Good Dog Happy Menのインタビューを読んだ。そこには、「Good Dog Happy Menは、一度完全敗北した」という旨の事が書かれていた(金欠で買えなかったのでうろ覚え)。


こういう書き方はなるべくしたくないんだけど、何年か前の「音楽と人」で、(当時)Syrup16g五十嵐隆も同じような事を言っていた。「一度負けた、という事を認めないと、次に進めない気がする」というような内容だったと思う。


自分は、Good Dog Happy Menの音楽は素晴らしい音楽だと思っている。それは、セールス云々の話ではない。音楽に対する姿勢、音楽性、楽曲のクオリティ。あげればきりがない位、彼らの音楽は洗練されていると思う。



僕がまだ10代だった頃、BRAHMANやハイスタンダードがインディーズシーンを盛り上げ、その一方でcymbalsのような、メジャーにいながら、メジャーシーンを風刺するようなPVを制作するなど、シニカルな音楽をやっている人達がいた。NUMBER GIRLは活動の中で独自の音楽性を模索していったし、Blankey Jet Cityは常に聴く側の心に突き刺さるような楽曲を提供していた。


そんな時期にライブハウスにいくと、すごい熱気だった。別にライブハウスじゃなくても、ホールでも、すごい熱気だった。当時のDVDなんかを見ても、そうした熱気が伝わってくる。
今はどうだろう。激しい音楽性のバンドのライブに行けば、盛り上がっている。でもなんだかちょっと盛り上がり方が違う。なんというか、「渇いた盛り上がり方」という形容が正しいように思う。勿論すべてのライブがそうではない。



一体何が変わったのか、考えていた。
まず思ったのが、楽器を演奏していそうな人間が観客として見に来ている数が減った、ような気がする。それがいいのかどうかは解らないけど、例えば本当にそうだとしたら、世のバンドマンは一体どこにいったのか。人のライブを見て、影響を受けたりモチベーションが上がったりする事は、しょっちゅうある事だ。
それから、どうしても音楽が、CDという媒体が衰退していった事は無視できないと思う。ジャケットも、歌詞カードもないダウンロード販売。別にコレクターになれと言っている訳じゃない。でもそこには、作り手の遊び心や、真剣な気持ちが入っている。勿論音質だって違う。


作り手が「完全敗北した」と言う程、一生懸命やっている。公の、結構大きな雑誌のインタビューでだ。それでは聴く側は? 今まで通り、リリースを待ち、ライブを待ち、受け身で聴いていれば良いのだろうか。


懐古主義になりたい訳じゃないけど、好きなアーティストのCDが出たら自転車で買いにいき、クラスメイトと情報を交換し合い、新しい音楽と出会う度に心躍らせた10代の自分がいる。僕たちは、情報が氾濫して、簡単に情報が得られるようになった事で、アナクロな、でもとても大切な情報伝達手段を忘れていっているのかもしれない。


別に、周囲の人に「○○いいよ! CD買いなよ!」なんて、進める必要はないし、やめた方が良い。それはただの布教活動のようなもので、それでは新興宗教と何ら変わらない。ただちょっと、今よりも、音楽を、音楽という分野を、もう一度考えてみて欲しい。


能動的な芸術鑑賞は人生を豊かにすると、僕は信じて疑わない。