バイト

面接ちょっくら行ってくる

電車の中で時間があるので思った事をつらつらと書こうと思う。

そんなに周りをジロジロと眺めている訳ではないけれど、少なくともこの揺れる電車の中で二人、受験生とおぼしき若者が本を広げて勉強している。あぁそうか、センター試験まであと二ヶ月、まさに今が追い込みの時期なのだと思った。

大学は、バンド活動に明け暮れて、気付いたら冴えない卒論を出して卒業していた。バンドメンバーだった親友に言わせれば「君はよく勉強していたと思うけどな」との事だが、イマイチ自分が「頑張った」という実感がない。

話が逸れた。
学生が、次のステップへ向けて勉学に励んでいるのをみて感心したのかというとそればかりではなくて、どちらかといえば、彼らは本当の所、自分達がやっている事がなんなのか、よく解らないままに学校や塾に通っているように思えてならない。

なにかしら志があって進学するのは立派な事だし、金があるならどんどんやれと思う。しかしそういう目覚めのようなものにはきっと個人差がある。植物学の教授に以前聞いた話だが、その教授は中学生の頃に既に覚悟を決め、舵取りを始めたという。

あの方の場合、非常に早い段階で本当に自分が生涯をかけてやりたい事を見つけたようだ。羨ましいが他人の人生、自分はまた別の問題である。

例えば大学進学という話になれば、近頃だとほとんどが17か18に、一応の決断をしなければならなくなる。何を専攻するか、どこへ行くか。しかし、みんながみんな一斉に進路が決まったり、或いは18までにほとんどの人間が腹を決めるなんて事は、ちょっと有りそうにない。
というよりは多分、今の日本の現状をみればなんとなく解りそうなものだが、もっと時間がかかるか、或いは決断を鈍らせるような教育がそれまでになされている気がしてならない。


自分は今、電気工作をちまちまとやるが、これが楽しい。勿論理論的な事はまだまだ全然解らないし、生来手先があまり器用でないので思ったようにはなかなかいかない。はっきり言って参考書を一冊こなす方が自分にとってはよほど楽な作業だ。
しかしやはり、得手不得手と趣味趣向というのは必ずしも一致しないものらしく、ああだこうだと頭を悩ませては回路図を指でなぞったりする。


今は、決して不安がないわけではないが上出来だと思っている。ハンダが本当に綺麗に染み込む時のあの感じは、言葉では表し難い貴重な体験である。