少しは浮上してきたか

どんなに気を付けても、辛い時はある。他人が元気そうに見えるのは、その人のプライベートなど知らないからに過ぎないと最近気付いた。


優秀であるが故に悩むと、誰かが言ったが、その悩みが故に今すべき事が出来ないのは、つまりは優秀ではないのではないかと、そう思ってしまう。この事に関しては考えても仕方がないと考えた。


例えば「優秀である」という言葉に疑問を投げかけるとするなら、それは「何に対して?」という事だ。何と比較して、或いは誰と比較してそうだというのか。そして比較して検証する事にどれだけの意味があるのか。僕にはその意味性は感じられない。


そして自分は「どうありたいか」だけを行動の中心においた方が、案外周囲の人間との摩擦も少なくなり、自分自身も楽だと思えた。以前は決してこんな事はなかった。一見、字面でみるととんでもなくエゴイスティックに感じるがそうではなく、段々と我が弱くなってきた、という訳でもなく。なんといったらいいのか良く解らないが、少し変わりつつあるのは実感できる。


人間、何に喜びを感じるのか、何に苦しみを見出すのかは全くもって人それぞれだ。自分の常識を強要しない事、他人の常識に流されない事。常識という言葉に正当性を見出さない事、そうした抽象的な概念にはっきりとした意味を設けたがらない事。これらが自分の当面の課題。