当り前なことが当り前じゃなくなる瞬間

えー、また訳の解らん事を言い始めましたね、俺。


例えば、実際には空腹で、或いは寝不足で、もしくはそういった事が原因の肉体的な要因で疲労しているんですが、なんだかこころが疲れているように感じてしまう。そういう事が言いたいんだと思います(適当だな)。
これって微妙な所で、身体が疲れたら、それに伴って精神的にも疲れるだろう、というのも至極もっともな意見だと思います。ただ、その「精神的に疲れた」っていう自覚の度合いが、こころがお疲れモードだとちょっと過剰になってしまう感じがするんですね。
結局、あらゆる事をまず「こころの調子のせい」にする事から始めてしまう。普通は「風邪ひいたかな?」とか、「ちょっと忙しくて疲れたかな?」と考える所です。


これは俺の体験した話です、あんまり身近な例ではなくてごめんなさい、と予め。
昔、病院で抗鬱薬を変えた次の日、とんでもない寒気に襲われ、不安感、無力感、虚脱感、そんなものが身体を支配しました。「これはまずい、副作用だ」と思った俺は、どうにもならない身体を無理矢理引きずって病院(その病院は総合病院と言った感じで、精神科だけでなく内科などもありました)に赴き、「副作用がひどいからすぐ薬を変えてくれ」と懇願したのでした。
それで家に帰って、どうもちょっと熱っぽいな、と思い熱を測ると、38℃。


風邪でした。


まず、身体の不調を感じた時点で、「風邪じゃないか」と疑うのが当り前で、それができなかった俺は「当り前じゃなかった」事になります。これってこころの問題の治療におけるデメリットじゃないかと個人的に思ってます。つまり、何か変化があると優先的にまず精神的な方へ目を向けてしまう傾向になってしまう、ということです。


確かに風邪の時はやる気も起きなかったり、けだるい感じがします。しかしそれは風邪なのだからであって、抑鬱などと関係あるかどうかはわかりません。なにやら言いたい事がぼやけてきましたが、


ちょっと調子が悪いかな、と思ったら、まず「体」、そして「こころ」の順に疑ってみましょう、と思いました。あうあう。