手記

少し寝たら、気分は幾分楽になっていた。寝呆けた感覚が苦しさを紛らわせているだけなのか、疲労が和らいだからなのか、はたまた微睡みに癒されたのか、定かではない。
私は孤独だと思う。しかし本当は誰しもがそうであるという事も、なんとなくではあるが解っているつもりである。成長には苦しみや痛みが伴う事も、また人生においては楽しい事よりも、どちらかといえば苦しい事の方が多いという事も、数十年生きた経験で予測している。
話を戻せば、私が孤独だと感じる故、その前に、私のいう「孤独」という言葉はどういった意味で用いているのかを説明せねばなるまい。
孤独とは、真の意味で他者とこの心を共有する事はできないということである。その意味で私は、誰もが本当は孤独であると思っている。


それでは私はどうして孤独だと感じているのか。


まず、私にはしばしば憂鬱が訪れるが、感情の起伏はそれほどない。仮にあったとして、ほかでもない私自身が認める事ができないのである。
憂鬱の最中にある時、私は不感になるが、平時でもそれほど感情の起伏がある訳ではない。他人からみてあるように見えても、私はどうしても自分に感情が欠落しているようにしか思えないのである。
楽しいが、それほど楽しい訳ではない、嬉しい訳でもない。苦しいが、それは感情というより与えられているものである。私の内面から湧き起こるものではないように思う。


故に私は他者とささやかな幸せを共有する事すらできない。
それは悲しい事なのか、それもよく解らない。


昔は確かにあったそれが、今の私にはない。それ故に私は孤独を感じている。孤独もまた、私から起こるものではなく外側から与えられるものであるように思う。
すると生きる事自体は苦しい事ではないかと思い至って、考えるのをやめた。