気の狂いそうな夜に

私は車を慌てて走らせ、あてもなく彷徨う。人はどこにいるのだろう。
子供の頃は暗闇にはお化けか幽霊が居るだなんて、今でも信じていない訳じゃないけど本当に信じていた。だから夜の闇は怖かったし、その闇に浮かぶ明かりはもっとずっと怖かった。


そんな私がこんな真夜中に、車を走らせている。


何も考えたくない。誰か話をさせて。誰か。誰か。
それが「淋しい」のだと気付くのに、随分と時間がかかった気がする。
自分はもっとストイックになれるとか、そういう事を思ってた訳だけど、現実はそうもいかない。泣いて、苦しんだ分、ここにいられるだけ。喜びも、束の間の幸せも、すべてが苦しみに耐えたご褒美のようなものだ。


私は今、きっと意味のない事を考えているんだろう。私はきっと、どうかしてしまっているんだろう。そんな事はもう今まで何回だって考えた。でもその度に、狂いきれない私が、私を現実に引き止める。私は私をやめる事ができない。
そうしているうちに、無意味な事であっても、自由に考える権利が、或いはある種の使命のようなものが私には与えられてるんじゃないか、なんてよく解らない事も考えてみた。誰が与える権利なんだろう。辻褄の合わない感じもくすぐったい。


かけるCDも思いつかない。煙草もお酒もする気にはなれない。眠ろうとも、何もしたくない。ただこの、考えるという停止不可能な事を、心臓の停止が不可能な事と同じ様に、淡々と繰り返すだけなのだ。それだけが今私が生きている理由。
長い長い時間の中で、あと何度あなたの事を思い出すだろう。段々と記憶は曖昧になっていって、捏造されて、その内どれが本当なのかも解らなくなって。そんな曖昧な境界の上で、「これが本当なんだ」と、よく解りもしない頭で考える。それは客観的にみればきっと淋しい事なんだろう。


今はとてもいえないけど、あの頃言った言葉が嘘な訳じゃないんだよ。ただ私が年を取っただけ。私という人間があの時の私と同一だと証明出来るものもなければ、違うと証明できるものもない。その曖昧さに耐え抜く事が、今の我々人間に必要とされているのだ、とか、どっかに書いてあったっけ。それとも自分で考えたんだっけ。曖昧だ。


いつかは灰になるこの気持ち。あの頃の気持ちと同じ様に。そして、時々赤みがさしてチリチリと体温を上げる。まるで何かを思い出したかの様に。


そうしていつの間にか、私は考え事をしながら車を走らせ、また家に戻ってきていた。


「ただいま」


一人暮らしの部屋に返事をしてくれる人なんていない。ただ私の声がこだまする。
あの頃にかえりたいよ。あの頃にかえりたい。そう願っても、もう戻らない。
戻して欲しくても、もうかなわない。悲しい事だけど。
そして私はまた、布団に包まれて明日を目指す。夢で何か楽しい事があるのを期待しながら。