帰省した際に墓参り

うちは、参る墓石が10個以上あって、古い墓石になると嘉永何年(江戸eraですね)とか書いてあります。
勿論顔も知らない人なんですが、なんというか、血の繋がりが脈々と受け継がれてきたんだな、と思うと、身が引き締まる思いになるのでした。


うちの祖父は(前にも書いたか?)、満州かどこかで終戦を迎え、シベリアに4年間抑留されて舞鶴に帰ってきた人です。飛び抜けて目が良かったらしく、なにやら特別な任務にもあたってたそうです。
話を聞いていると、苦労してばかりの人生のようです。今はもういい年齢になって、俺の名前も覚えててくれませんが、本当にすごい人だったんだなあと思います。


そういう事を考えて、自分がどう、とかを考えると、生きる事に疑問を抱く事自体本当はナンセンスなんだと、時々思います。俺にはきっと、何かやらなきゃいけないことがある(傲慢な意味じゃなくてね)。だから死ぬ事なんていうのは、本当に人生の最後の最後の話。


帰省した時に父親と話をして、「苦しんで辛い思いをして、それで自分で命を捨ててしまったら、なんだか勿体ないよな」という結論に至りました。水戸黄門じゃないですが、イヤな事もあれば良い事だってきっとあります。良い事だけのはずがないんです。
だから、生きて生きて、苦しいときもあるけれども、「こんなに素晴らしい!」と思える瞬間の喜びに期待しつつ、あわよくば、苦しみの中にも喜びを見出せるようになりたいな、なんて思うのでした。